千社札という慣習をご存知でしょうか?
神社や寺院の柱などに、お参りした証として自分の名を描いた札を張り付ける事です。
先日、長勝寺の玄関に許可なく千社札が張られていました。
直ちに撤去作業をしましたが、貼られていたところは糊で固まり、完全には除去できませんでした。
これが貼られていた千社札です。この後廃棄処分しました。
長勝寺域内に千社札を張る行為は許可致しません。お止め下さい。
なぜ、自分の名をわざわざ目立つ、そして高いところに貼る必要がありましょうか?
長勝寺に入ってすぐの石畳は、今から20年ほど前、癌の闘病をされていた方が「人知れず、人様に踏まれてご功徳を積みたい」と言って寄進されたものです。住職より、寄進者の名を石碑に刻みたいとのお願いも、陰徳を積みたいからと固辞されました。
その方は、余命わずかと宣告を受けられていましたが、不思議とその後も生き長らえ、余生を全うします。
今、千社札を張られている方々。この記事を読み、いかに自分の行いが恥ずべき行動だったかがお判りでしょう。
神仏の鎮座する社に自分の名を書いた札を張り付けるのは、「目立ちたいから」「かっこいいから」「勝手な自己満足」ではありませんか?
人によってお参りの仕方もそれぞれですが、ある人は見栄を張り、ある人は陰徳を積みます。この2通りの方々が、お参りによって得たものがあるとすれば、それは、真逆のものでしょう。
千社札禁止 千社札迷惑 千社札 伊田倉 松ゆう むら上
名古屋市内のお寺です。私どものお寺も千社札の被害にあいました。何百年も経つ山門など三ヶ所に貼られました。本当に許しがたいことです。「千社札 松ゆう」でグーグル検索しましたら、貴寺の「お知らせ」がヒットしました。うちに貼られていたのも「松ゆう」「伊田倉」で、そちらの写真と同一のものでした。うちはこれから剥がすところですが、文化財破壊行為にどう対処すべきか、苦慮しております。不粋でも看板設置するしかないのか、とも思います。
Web上で情報を共有しあって、千社札行為が迷惑行為で、違法の可能性もあるということを社会に知って頂く事も対処の1つと思います。そして何より、「伊田倉 松ゆう むら上 奈可栄」各氏は千社札は稚拙な虚栄心の現れであり、宗教心では無いことを自覚して欲しいです。