今週の絵手紙第41週
禅宗のお寺では収入と支出のように入るもの出るものの事を把住・放行と言っています。
わざわざ分かりにくい言葉を使うのは、収支に対する心意気が普通とちょっと違うからです。
それをよく表している禅語の一つに
「把住するときは瓦礫も光を放ち、放行するときは黄金も光を失う」
という語があります。(※読み方を分かりやすい現代調にかえています)
誰も見向きもしないゴミ同然の瓦礫に光輝くすばらしい黄金の価値を見出し、
いざ支出の時は執着無く、どんなに高価な黄金でさえも光を失った瓦礫のようにあっさり手放す。
という意味です。
価値がある、ない。 好き、嫌い。 損、得。 高、低。 綺麗、汚い。 収入、支出。 男、女。・・・
禅は、今ごみのように扱っているもの、あるいは価値を感じているものに、
本当にその見方で良いのか
と疑問を投げかけます。
そして、二つのこだわりが消え去った時、本来の姿、素晴らしい仏教的価値観がひらけます。
ありがとうございます。
大将のようなものでも何となくですが(--;)
分かります。
いつも学ばせていただいています。
ご愛読ありがとうございます。恐縮です。