先日、観音堂の材料が駐車場に搬入されました。
これは梁に使われる熊本のヒノキです。この他の化粧材は屋内に保管しています。
現場では足場が組まれています。
棟上げは年明けの予定です。
今回の地震でお亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表し、被災され、今まさに苦難を強いられておられる方々に心からお見舞い申し上げます。
あの日の深夜、大分でも大きな揺れを感じました。ビイッビイッビイッと緊急地震速報がけたたましく鳴り、携帯の画面を見ると「最大震度6」とあります。
布団の中で「震度6、くるぞ!」と叫んで妻と二人で身構えた直後に揺れが始まりました。大きな横揺れでした。幸い電気が無事でしたので急いでテレビをつけ、津波の心配が無い事を確認してお寺の被害を確認しに外へ出ました。念のためヘルメットをかぶり、ライトで山門、庫裏や本堂を照らします。無事でした。よく耐えてくれたね、ありがとう。と心に思いながら寺を一周しました。長勝寺は壁の端が欠けたり、灯籠が倒れたりしただけで済みました。
朝になってだんだんと情報が判ってきます。どうも熊本の方が壊滅状態らしい。大分も湯布院がひどいらしい。どれも「らしい」の付く情報でした。檀務を終え、県下で被害の一番深刻であろうY町に妻と二人で向かいました。あるお寺さんは本堂が部分損傷し、位牌等立っていたであろうものが全て横倒しになっていました。時折余震のある中で和尚さんの指示で早速片付けに参加しましたが、改めて地震の怖さを知りました。
最近、余震も落ち着いてきたように思いますが、今回の経験を活かし、地震対策を進めようと思いました。
今日、4月22日は祐山和尚の本当の四十九日です。でも28日にします。
和尚さんの四十九日は「新忌斎」と言って特殊で大掛かりです。正確に言うと、葬儀もします。最初の40分で葬儀をして、その後普通でいうところの四十九日法要です。
当然準備が要りますが・・・私一人の力では到底間に合わないだろうと、葬儀の日に「四十九日は28日にします」と宣言しました。
もう49日も経ったかなぁ、と不思議なほどあっという間でしたが、その間、法務局の登記や役所の届け出、本山への手続き、業者さんとの打ち合わせ、案内状作り、宛名書き、予算編成、備品手配、資料作り、掃除、剪定、姪っ子の遊び相手・・等々。これを普段のお寺の仕事の合間にやってきました。あと5日しかない!!
ラストスパート頑張ります。
2月5日、金池の万寿寺さんで「涅槃図のお絵解き」が開催され、長勝寺の涅槃図も展示させて頂きました。
こちらは万寿寺の佐々木道一老大師。今回の仏教講座という貴重なご縁を頂きました。
お釈迦様のお亡くなりになるところを、あたかもそこに居合わせているかのような語りでお話しくださいました。
お釈迦様のご臨終のところでは思わずジーンときてしまいました。
お絵解きの中でもありましたが、お亡くなりになったお釈迦様を囲んで嘆き悲しむお弟子さま方のお姿を見ると、死に方とは生き方なんだなあとしみじみ感じました。死んだとき、こんなにも悲しんでくれる人がいるように生きなければ。。
反省(-_-;)
皆さんもお絵解きの機会がありましたら是非聞いてみて下さい。
おまけ
涅槃図には訳あって猫は描かれることが少ないそうですが、こちらのネコさんはそんなことは知らないニャンと、和尚さんたちに遊んでもらっていました。
年明けから観音堂の現地工事が始まりました。
まずは「遣り方」(やりかた)です。観音堂を建てる位置を正確に出していきます。
直角三角形とレーザーを両方使って確認しています。
レーザーだけで良いようにも思いますが、万が一レーザーに狂いがあった場合を想定して原始的な方法も使うそうです。
遣り方が終われば土壌改良です。
三川は軟弱な土地ですので土壌改良材を混ぜて何度も転圧していきます。現場の土を検査に出して出来たオリジナルの改良剤を混ぜます。
改良材、初めて見ましたがセメントみたいな粉です。
大量の砕石が運ばれてきました
砕石を基礎の形に整えて、設計図通りか検査をしています
遠くから見ると、できたての古墳?なんとも端正な景色です