今週の絵手紙第44週
お盆のため更新をお休みさせていただいていました。
1年で一番忙しいお盆を終え、少しだけほっとしています。
やぶ茗荷という植物は日陰を好む目立たない草です。亡くなった祖母が好んでいました。
お盆にちなんでやぶ茗荷を探してみましたが、なかなか見つかりません。
きっと祖母も同じ思いをして草をかき分けたんだろう、と想像しました。
先祖を偲ぶお盆、皆さんはどんなお盆を過ごされましたか?
今週の絵手紙第41週
禅宗のお寺では収入と支出のように入るもの出るものの事を把住・放行と言っています。
わざわざ分かりにくい言葉を使うのは、収支に対する心意気が普通とちょっと違うからです。
それをよく表している禅語の一つに
「把住するときは瓦礫も光を放ち、放行するときは黄金も光を失う」
という語があります。(※読み方を分かりやすい現代調にかえています)
誰も見向きもしないゴミ同然の瓦礫に光輝くすばらしい黄金の価値を見出し、
いざ支出の時は執着無く、どんなに高価な黄金でさえも光を失った瓦礫のようにあっさり手放す。
という意味です。
価値がある、ない。 好き、嫌い。 損、得。 高、低。 綺麗、汚い。 収入、支出。 男、女。・・・
禅は、今ごみのように扱っているもの、あるいは価値を感じているものに、
本当にその見方で良いのか
と疑問を投げかけます。
そして、二つのこだわりが消え去った時、本来の姿、素晴らしい仏教的価値観がひらけます。
今週の絵手紙第40週
茶道の世界では、墨蹟にと共に床の間に花を活けて客人をもてなします。
最近茶事があるようで、日曜日の早朝、花活けの練習も兼ねて茶花探しに行っていたようです。
私は茶道に明るくありませんので詳しいことは判りませんが、
茶道には自己修養の面と相手をもてなす接待の面、文化の面、道具コレクションの面などなど、総合芸術のように様々な顔を見てとれます。
茶道はしなくても、抹茶を頂く機会は、お坊さんという立場上、数多くあります。
物にもよりますが、抹茶は意外に高くないんですよ。コーヒー豆よりは安いのではないでしょうか。
値段から入るとは、あまり上品な物言いではありませんね。すみません。
でも茶道と言うと固くても、抹茶を家庭で飲むだけならいつでも気軽にできるのではないでしょうか。
私は気が向いたときには、マグカップで抹茶を点てて、お参りで頂いたヤマザキの月餅片手に、椅子にて抹茶を頂きます。
意外でしょう。
これを良しとするか、悪しとするかはさて置き
まあ一服召し上がれ!
軒瓦の形、こんなの初めて見た!と思いませんでしたか?
丸栄陶業、栄四郎瓦の「州浜」という新しいデザインです。
寺院などの伝統的な建築に用いられる事は珍しいと思います。
単に伝統を踏襲するだけでは、伝統を守った事にはならないとの思いから、
今後何百年と続く観音堂を未来の人が目にしたときの事を想像して選定しました。
この写真はまだ作業中ですが、正面の外装はヒノキです。
外部側面の壁は漆喰です。近くで見ると鏡のように反射しています。
また、チリ廻りと言って、壁際の美しさが際立っています。
三川は風雨が強く、側面下部は雨に打たれやすいため、特に耐久性を重視しています。
この板壁の厚みは約1センチ以上あります。また、棹の部分も単純に釘で張っただけではなく、頑丈にはめ込んでいます。
足場が取れて全体像が見えました。
正面の飾りは昔の観音堂そのままを忠実に再現しています。
木材はタイヒ(台湾ヒノキ)です。