今週の絵手紙

今週の絵手紙第58週

秋の花々を野にもとめて、花瓶に生けてみました。

・吾亦紅・彼岸花・萩・姫むくげ・白水引草・かりがね草・黄色の花

茶道を修養の糧とする寺庭ですのが、花も生けれないといけないそうで、練習もかねて頑張ったそうです。

何の世界でも一緒ですが、沢山あるものを一つにまとめるのは大変ですね。

 

さて、大分には台風24号が接近中です。今年は災難続きです。

昔、中国に趙州和尚という禅僧がおられました。

 

「災難がやってくるときの心構えを教えて下さい」という質問に返した答えは

 

「よし来た!いらっしゃい」と言うほどのもの。

 

災難でもなんでも受け入れてやるという大きな心の持ち主です。

 

明日は台風の中、吉縁会大分の新規登録会があります。大荒れの天気になりそうです。

台風もいらっしゃい。登録者もいらっしゃい。

 

倦むべき台風もそうやって受け入れることにします。

 

今週の絵手紙

今週の絵手紙第57週

一雨ごとに涼しくなってきました。

今朝など寒くて、鐘撞きのとき、猫が暖をもとめて寄ってきます。

絵手紙は蜘蛛の巣です。台所に蜘蛛が巣を作りましたが、丁度日の光が当たり、

虹のようにキラキラと、その美しさを描いたのだそうです。

どちらかというと嫌われ者の蜘蛛ですが、

そんな蜘蛛にもこんな美しさがあったんですね。

「触處清涼」(碧眼録70) という語があります。

~いたるところ見るところ、すべてが素晴らしい~

私も蜘蛛と同じ宿命の身です。

網をかけねばならない宿命の蜘蛛ですが、触處清涼、そのまんまの姿に感嘆しました。

今週の絵手紙

 


今週の絵手紙第56週

スイカやビール、ちょっと昔は井戸の中に入れて冷やしたそうですね。

私は残念ながらそんな経験はありません。

長勝寺には台所、中庭、裏手と井戸が3つあります。

中でも台所の井戸は水質が非常に良く、災害時も使えるように手押しポンプも設置しています。

お茶などを沸かした井戸水で入れるとなかなかの味です、内輪で「長勝寺名水」などと言ってみたり。

まさに大地の力を頂くという感じでしょうか。

 

さて、以前書きましたが、長男はバクタール連合という難病を抱えています。

先日、無事に1歳の誕生日を迎えることができました。

毎日元気に過ごさせて頂いております。

これも、仏さまのご加護やお世話になっている皆様のお蔭と感謝いたしております。

まだまだ、未解決の症状が山積していますが一つ一つ丁寧に向き合っていこうと思います。

なにより、当の本人の笑顔に毎日癒され、勇気をもらっています。

 

今週の絵手紙

今週の絵手紙第55週目

お盆のご供養も無事に終わり、少しばかり夏休みを頂いています。

毎年お盆疲れが出てきて夏休みどころではなくなるのが通例、さて今年はどうなるやら。

お盆の花と言えば、ほおずきが真っ先に思い浮かびます。

今はそんなこと知っている方もほとんどおられないと思いますが。

昔はほおずきの実で笛を作ってブーブー鳴らすのが恒例だったようです。

なんでもおもちゃにしてしまう昔の人の想像力に驚きを感じます。

お寺では毎年8月16日に過去帳を中央にお祀りして施餓鬼供養をし、先祖供養を営みます。

500年伝わる過去帳。

近年、小学校の夏休みが短くなり議論を呼んでいるようですが、今も昔も変わらないのは

やっぱり宿題のようです。

お盆が終わった私の宿題は過去帳のデジタル化。

はあ~、気が遠くなる。今日この頃です。

 

夏休み子供坐禅会

今年も恒例”夏休み子供坐禅会”が始まりました。

今年はお祭りとの兼ね合いで前期のみ5日間の開催です。

本堂は約50枚の座布団でいっぱい!

子供向けに、なるべく分かりやすいようにと意識していますが、中々難しいものですね。

学校の先生方のご苦労が少し分かりました。

今週の絵手紙

今週の絵手紙第54週

アジサイの似合う季節です。

新亡供養で京都に行ったり、桃園小学校2年生の皆さんが「町探検」に来てくれたり、

にぎやかな1ケ月でした。

そんな中、心配事は猫のニャー助。

元々体の弱い猫でしたが15歳を超え、最近腎臓を患っていたところ、とうとう姿をくらませてしまいました。

散々探しましたが見つからず、もうだめかと思った頃

雨に濡れて帰ってきました。随分弱っていましたが、獣医の先生のお蔭もあって少し元気が戻りました。

しかし、もう長くないだろうと思わせる弱りようは変わらず。

いつの間に降り出したか、靜かな雨の音に、人の力の及ばざる、自然の流れを思います。

今週の絵手紙

今週の絵手紙第53週

えんどう豆は好き嫌いの多い食材のようです。

私の周りにもえんどう豆嫌いが多くおります。

そんなに、何が嫌いなのか?豆好きの私には不思議な気持ちです。

薄味の翡翠豆、豆ごはん、炒め物のいろどり、、、色々楽しんでいます。

 

さて、以前投稿したバクタール連合という病気を患う、うちの豆こと赤ちゃんですが、

その後も元気に、ニコニコ成長を続けています。

 

病院スタッフの皆さんはじめ、訪問診療の先生、看護師、理学療法士の皆さんの手助けやアドバイスを頂きながらの子育てです。

普段の分からない事、心配な事も専門家の心強いアドバイスに助けられています。

 

ふと思ったのですが、世間一般の子育てされている方々もこんなに大勢の専門家の皆さんの力をお借りできているのだろうか?と。

もっともっと孤独な子育てに心を痛めている方もおられるのではないか?と。

 

医者であった祖母の口癖は「一病息災」

病気のお蔭でむしろ健やかでいられるという事でしょうか。

 

わが子は大病を抱えていますが、そのお陰で多くのありがたい力に支えられています。

本当にありがたいことです。

今週の絵手紙

今週の絵手紙第52週

掘りたての新玉ねぎを頂きました。

薄く切って水にさらしサラダ

さっとシンプルに醤油味炒め

甘酢漬け

この時期だけの味を頂きます。

 

 

先日、気になるニュースを見ました。

以下バチカン放送局より引用

教皇フランシスコは、英国の難病の幼児のために祈られた。

4月4日夜、教皇はツィッターを通して、リバプールの病院に入院中のまもなく23ヶ月になる男児、アルフィー・エバンズちゃんと、両親のために、次のようにメッセージをおくられた。

「小さなアルフィー・エバンズちゃんに、憐れみをもって寄り添い続けることができるように、可能なすべてが尽くされることを、そして彼のご両親の深い苦しみに耳が傾けられることを、わたしは切に希望します。アルフィーちゃんと、そのご家族、すべての関係者のために祈ります。」

アルフィーちゃんは、まだ診断名のつかない稀な疾患により昏睡状態にある。検査では脳に病変が認められるが、いくつかの刺激には反応し、心臓の機能も安定しているという。

病院の医師団は、アルフィーちゃんの回復は不可能とし、生命維持装置を外すことを勧告。アルフィーちゃんの両親、トム・エバンズさんとケイト・ジェームズさんは承諾せず、その是非は司法の場に持ち込まれた。ロンドンの英高等法院は、この延命処置を「過酷、不当、非人道的」であるとし、医師らに治療の中止を許可した。

両親は、欧州人権裁判所(仏ストラスブール)に提訴したが、同裁判所はその訴えを受理できないとした。

そこで、両親は国外をも含む、別の医療施設へのアルフィーちゃんの移送を望んだが、入院中の病院の医師団はそれを許可しなかった。

英国では、最近、チャーリー・ガードちゃん(2017年7月死亡)、イザヤ・ハーストルプちゃん(2018年3月死亡)が、アルフィーちゃんと同様のケースにおいて、両親の希望と医師団の勧告が対立する中、司法の判断を受け、生命維持装置の作動中止により、幼い生涯を閉じている。

チャーリー・ガードちゃんの件においても、教皇は治療継続を望む両親の思いを尊重し、バチカン運営の小児科病院への受け入れを申し出、幼児と両親のために祈っておられた。

原文

以上

この延命処置を「過酷、不当、非人道的」”

特に非人道的という表現には大きな疑問を抱きます。

人の道とは何でしょうか

少なくとも私の道には生命維持装置を外すという手段はありません。

今週の絵手紙

今週の絵手紙第51週

最近かなり間隔が空いております今週の絵手紙。今週から今月に改題した方がいいかなぁと思ったりします。

さて、卒業、入学、入社、転勤・・・何かと慌ただしい季節ですね。

新しい年度もよろしくお願いします。

旅立ちと言えば、シロアリもそろそろ出てくる頃。

本堂ではシロアリ防止で、常香盤という装置を使い24時間ずっと線香を燃やしています。

今週の絵手紙

今週の絵手紙第50週

小学生の寺庭。ある時、教室で育てていたヒアシンスの、水中に伸びる根がどうなっているのか、どうしても見てみたくなったそうです。

抜いてまた元に戻せばイイや、と、好奇心を抑えられずに引っこ抜いたところ、あまりに大きな根を元に戻せずに慌て、あたふたしているところを担任に見つかり、しっかり怒られたそうです。

 

 

さて、本日3月6日は先住職の祥月命日です。丸2年、3回忌を迎えました。

人は生きている間、常に向上しているものだと思います。ですから人の価値は死んでからでないと分りません。

そしてその真価は、善行、悪行や命の長、短で推し量れるものでは無いと思っています。

 

3回忌、沢山の方々にご供養頂きました。供養の最中、だんだんと亡き先住職の人生が判ってきたようにも思います。

 

知らぬ間に伸びた根に支えられていたからこそ咲く、ヒアシンスの善き、といったところでしょうか。